【感想】2018年9月 歌舞伎座秀山祭「祇園祭礼信仰記 金閣寺」

7月初め、歌舞伎美人の公演情報に福助の名を見たときは驚いたが、

「金閣寺」 慶寿院尼という配役に唸った。

決して軽い役ではないが、台詞は少ないし、座ったまま動かなくてよい。

(一瞬、「竹にくくりつけられて脱出するのは大丈夫なのか」と思ったが、それは文楽のほうだった)

演目自体も、まあ雪姫は大変な目にあうのではあるが、あまり人も死なないし、重いテーマをはらんでいるわけでもない。

雨樋で碁笥を取ったり屋体がセリで上下したりとダイナミックな場面もあり、登場人物はそれぞれ見せ場があるという、舞台復帰狂言にふさわしい華やかさである。

初代吉右衛門も東吉を演じていたから「秀山祭」で出してもおかしくない。

素晴らしい目のつけどころである。

 

そして、児太郎の雪姫。父の復帰の舞台で大役に初挑戦となれば、彼の人生における大きな節目となるのは間違いない。

赤の他人であるが「どうか力を尽くして頑張ってくれ・・・!」という気持ちになる。

 

開演。

松永大膳(松緑)は「国崩し」というには線が細い気もするが、東吉(梅玉)はじめ皆それぞれの役柄を違和感無く演じていて、落ち着いて観ていられる。雪姫も悪くない。特に心に残ったのは狩野之介直信(幸四郎)。直信の演技としてこれが良いのか悪いのかということは分からないのだが、短い出番でしっかりと印象に残った。

 

いよいよ爪先鼠である。

個人的には、

「これから処刑される直信に『命あるうちに、敵は松永大膳と伝えたい』という心情が理解できない」

(死の直前にそんなことを聞かされても、恨みつらみが増幅するばかりで、直信が余計に苦しむだけなのでは)

「雪舟の故事(涙で描いた鼠が縄を喰い切った)のくだりが、あまりにも説明的な台詞でしらける」

という理由で、入れ込めない場面なのであるが、どうしてどうして、なかなかのものであった。

 

「雨を帯びたる海棠桃李」という表現に負けない美しさ、そのたおやかさの中にある芯の強さ。それだけではない。

雪姫は、高貴な出自の「姫君」ではない。かつて慶寿院の腰元としての働きを将軍足利義輝に褒められ姫という名称を許された、そして雪舟という画聖の血筋で自らも画力で奇蹟を起こす、いわば資質上の姫・天性の姫である。その神秘的な雰囲気が伝わってきた。

見巧者からすればまだまだなのだろうが、素人目には大満足である。

 

 

そして、福助の姿に、場内は割れんばかりの拍手である。

決して熱心なファンではないが、私も大きく手を叩いた。

もちろん、福助の歩む道はこれからも平坦ではないだろうが、

病を得た俳優が、五年の時を経て舞台に戻ってきた、そのこと自体が素晴らしいではないか。

身近な人の、リハビリの壮絶さを思い出し、目頭が熱くなった。

 

 

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