【感想】2018年9月 歌舞伎座秀山祭「河内山」

某掲示板に「 巧すぎてしらけるほど巧かった 」と書いた方がいらしたが、まさに仰る通り。

 

吉右衛門はもちろん、他の俳優も含めて、これほど高品質な「河内山」は私の生涯で観ることはないだろう。

いぶし銀の地金がシルバーじゃなくてプラチナだろう!というか。

しかしハイレベルすぎて、至芸に感心するのに五感を使い尽くしてしまい、「『ワルだけど庶民の味方』が巨悪に勝った!」とスカッとする余裕が無いのである。

 

ただし、もともと私は「河内山」と相性が悪く、楽しみにして客席についているのに、いつもうたたねしてしまう(ひどいときは、冒頭から寝て、「馬鹿め」に沸く客席の声で目覚めたくらいである)。

数年前に吉右衛門で観て、その翌年に幸四郎(当時)で観て、「ああ、吉右衛門はマジメなんだな」と思った。

どちらも途中でうたたねしつつ観ていたのであるが、「江戸の粋」というのか、サラリと演じる吉右衛門に対し、幸四郎の河内山は「オレはワルだぜ」という心が常に出て、高僧に扮しているときも”ニセモノ感””ハリボテ感”をけっこう出しているのであるが、客席には元々ネタが割れている話であるからか、それがちょうどいい感じなのである。程よいくどさというか。

「山吹色のお茶」の帛紗をそっと持ち上げたところに大名時計が鳴ってびっくりし、辺りを見回すしぐさなど、大袈裟と見る人もいるだろうが、なかなかチャーミングであった。

吉右衛門の河内山はもっと、さりげなく、粋人なのである。

 

今回初めて、居眠りせずに最後まで観ることができたのだが、

「ものすごいレベルの高い芸をみた」ことと、

それに対する自分の情感の起伏の少なさに戸惑っている。胸のうちをどう言葉にすればいいのか分からない。

 

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